午後三時のパリは、なぜかいつも中途半端だ。
ランチは終わって、夕方にはまだ早い。
観光客も、地元の人も、少しだけ所在なさげになる時間。
私はその時間が好きで、
サンジェルマンの角にある小さなカフェに座っていた。
店内には、アコーディオンとピアノが混ざった古いジャズ。
テンポは速すぎず、人生を急かさない。
私はノートを開いて、何も書かずに閉じた。
こういう日は、書きたいことより、飲みたいものが先に決まる。
「いつもの?」
カウンターのマダムが聞く。
私はうなずく。
砂糖なしのカフェオレ。
泡が少し多め。
隣の席には、赤いスカーフの女が座った。
彼女はクロワッサンをちぎりながら、
スマホで何かを読み、ため息をついた。
「仕事?」
と、私が聞くと、彼女は笑った。
「人生」
それ以上の説明はなかった。
でも、なぜか十分だった。
私たちは、それぞれ別の方向を向きながら、
同じ空間を共有していた。
しばらくして、彼女が言った。
「私ね、パリに来た理由、もう忘れちゃった」
私はカップを回しながら答えた。
「たぶん、忘れるために来たんじゃない?」
彼女は少し考えて、肩をすくめた。
「それ、悪くない」
音楽がサビに入る。
外を歩く人の靴音と、カップの触れ合う音が重なる。
私たちは名前も聞かなかった。
約束もしなかった。
ただ、会計のとき、彼女が小さく言った。
「今日、悪くなかった」
私はうなずいた。
カフェを出ると、パリの空は相変わらず曖昧な色をしていた。
でも、なぜか足取りは軽かった。
何も解決していない。
何も変わっていない。
それでも、午後三時のコーヒーは、
ちゃんと人生を少しだけましにしてくれた。
――おしまい――


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