『赤い口紅と青い海』

小説

彼が彼女を見つけたのは、海沿いの小さなカフェだった。

女は、赤い口紅をつけて、ゆっくりコーヒーを飲んでいた。

外国人少年は、言葉より先に、その佇まいに惹かれた。

「きれいだと思った」

彼は、覚えたての日本語でそう言った。

不器用で、真っ直ぐで、飾り気のない言葉だった。

彼女は少し笑って、視線を外した。

若さの衝動だと、最初は思った。

けれど彼は毎日来た。

同じ席に座り、同じ時間に現れ、同じ目で彼女を見た。

やがて二人は、夜の街を一緒に歩くようになった。

会話は拙く、沈黙は多かった。

それでも、体温だけは不思議と近かった。

彼にとって彼女は、初めて触れた「大人の世界」だった。

匂い、声、指先の動き。

すべてが、記憶に深く刻まれた。

彼は本気だった。

将来の話をした。

一緒に住む国の話もした。

でも、言葉はいつも足りなかった。

「忙しい」と彼女が言うたび、

彼は「必要とされていない」と受け取った。

「大丈夫」と彼女が言うたび、

彼は「本当は悲しいんだ」と思い込んだ。

すれ違いは、小さな棘のように積もり、

やがて彼は決めた。

――離れなければ、壊れてしまう。

彼は別れを告げた。

彼女は引き止めなかった。

それが、いちばん痛かった。

距離を置いた日々の中で、

彼は何度も彼女の名前を口の中で転がした。

忘れようとするほど、恋しさは濃くなった。

そして、ある夜。

彼は衝動のまま、連絡を送った。

短い返事。

でも、拒絶ではなかった。

彼は彼女に会いに行った。

再会は静かだった。

言葉より先に、沈黙が二人を包んだ。

その夜、二人はまた近づいた。

けれど、彼の中では何かが変わっていた。

朝、窓から差す光の中で、

彼は彼女の寝顔を見つめながら思った。

――愛している。でも、戻れない。

彼は若すぎた。

彼女は、もう多くを背負いすぎていた。

「また連絡する?」

彼女が聞いた。

彼は首を振った。

「思い出は、きれいなままにしたい」

彼はドアを閉め、外に出た。

潮の匂いが、胸いっぱいに広がった。

彼はまだ彼女を愛している。

それでも、彼は歩き出した。

恋は終わった。

でも、彼の中で、ひとつの大人の扉が静かに開いていた。

――おしまい――

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